ピンケのモイ!

ほぼ下ネタ

千の話

センズリ(自慰)観賞会を開催したいと常日頃から考えている。女子の顔の前でただセンズリこくだけのシンプルな宴だ。

その主催者として、やっぱりセンズリというものに敬意を払わなければいけないし、こだわらなければいけない。

やっぱり千摺りというだけあって、千にこだわって、必ず千回擦ってから射精をしようと決めた。なかなかの我慢が必要になる。

そこで一役かってくれるのがBGMだ。

センズリDJイモケンピのチョイスは「千の風になって」だ。

 

参考までに、歌詞を載せておこう。

 

私のお墓の前で泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています

 

秋には光になって 畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る

 

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風千の風になって

あの大きな空を 吹きわたっています

 

 

大体こんな感じだ。

非常に厳かな気持ちで千摺りをすることが出来るし、同時に生(性)を実感できる素晴らしい曲だ。不思議と千回擦ることが苦ではない。

 

ここまで千にこだわると、センズリ観賞会主催者としての身体も出来上がってくる。

 

大変なのはここからだ。

千にこだわるあまり、「千」=「射精」というオチンポ方程式が成り立ってしまい日常生活に支障をきたすようになる。

 

千と千尋の神隠し」を観た時は大変だった。もうタイトルが、ちひろさんの目の前で、目隠しセンズリ観賞会をしている映像しか浮かばないのだ。

 

湯婆婆に名前を取られ、「お前は千だ」と告げられるシーンでビクビク反応してしてしまい、

 

カオナシが「千はどこだ!千をだせ!」と迫ってくるシーンではもう射精寸前だ。

これが言葉の力というものかと僕は悶絶する。ここで出してしまったらカオナシにカオダシした様な複雑な気持ちになってしまう。

 

なんとか千の魔力に打ち勝って耐えたとしてもエンディング曲の「いつも何度でも」を聞いてしまうと、「そうだよねいつでも何度でも出しちゃえばいいや」と、僕は射精を促されてしまう。

 

まあ大体、方程式が成り立ってしまった場合の日常生活はこんな感じだ。

 

ただセンズリ観賞会をしたいだけなのに。僕のカラダに何しやがった!!!

 

 

 

っていうことが昔あってさ。

その後遺症みたいなもんで、今はもう三擦り半で事が足りるようになったで候。