1.序
アダルト動画を探していた僕は、なにやら興味深いタイトルの作品を見つけた。
それは、「フェ〇チオの天才!AV出演」
的なものだった。
昨今、「天才」という言葉の定義が曖昧で、めたくそに乱用されがちだが、最上級を表現する上で、商品の宣伝文句としてはかなり使い勝手のいい言葉だ。
僕はまんまとその作品に魅力を感じて、観賞を始めたのだが、簡潔に言うと僕の期待を超えるものでは無かった。
確かにその天才と言われる女性の口技は、丁寧でありながらダイナミックで、献身的でありながらどこか意地悪で、見ている分には大いに気持ち良さそうであった。
ただ、やはり「天才」のハードルは高いのである。
僕が思うに、フ〇ラチオの天才というのは、口でモノを包み込んだその瞬間に、男性が射精を促されるくらいのものであると思う。
もしくは今まで、数々のAV女優がマニュアル的に披露してきた「上手なフェ〇チオ」を根底からぶち壊すくらいの誰も見たことのないやり方でないと、天才のハードルは超えられないのである。
よって誇大広告であるとみなし、動画の観賞を中断した。
次に見つけたのは、「手コキの天才!AVデビュー」
的な作品。
これは期待が持てる。
何故期待が持てるか説明しよう。
「ギターの神様」と今もなお世界中のギタリストから崇められるジミ・ヘンドリックスはご存知だろうか。
彼がギターの弦に手を触れただけで、「この人はすごいギターを弾くぞ」と、素人の僕らにも伝わるように、
「ヒカルの碁」で、主人公が神の一手をさした瞬間盤上が輝くように、
「焼きたて!!ジャぱん」で主人公が太陽の手で作ったパンが涙が出るくらい美味いように、
手というのは、それだけ、伝わりやすいのだ。
だからこの作品で
「手コキの天才」と言われる女性が、男性器に触れた瞬間、もしくは1コキした後の現象に僕は興味をそそられ観賞を始めた。
が、簡潔に言うと期待は外れた。
確かにその天才と言われる女性の手技は、丁寧でありながらダイナミックで、献身的でありながらどこか意地悪で、見ている分には大いに気持ち良さそうであった。
ただ、一般的だ。
特異な手技があるわけでもない。
これは先に挙げた「フェ〇チオの天才」にも共通して言えることだが、
男性が射精までに掛かる時間が、一般的なものよりも短いような気はした。
ただそれは、気持ち良さそうに見せる演出というものに他ならない。
言ってしまえば、この演出を成立させた男優さんが、「射精の天才」ではないかとすら思うのだが、それも天才とは少し違う。
よって、「手コキの天才」と謳ったこの作品も誇大広告と見なし、観賞を中断した。
その他にも、天才シリーズはまだあった。
「騎乗位」「素股」は想像通り。
騎乗位は、天才を謳うのにただの激しい縦ストロークと前後のグラインド。
スマブラのマリオの↓Bくらいのスピンが挿入したまま出来ていれば、微天才だった。
「浮気」「寝取られ」「アヘ顔」この辺りの天才はもはや意味すらも分からない。哲学である。しかも、アヘ顔に関しては僕の方が上手だった。
「淫語の天才!」
というものもあった。この作品には少し、興味をそそられた。
言葉というものの力、天才ならば男性器を、どのような表現で、僕らの想像を超えるような豊富な語彙力で責めたててくれるのだろうか、と。
ブログという媒体で「言葉」を駆使して文章を書いている僕たちにとって、その作品から何か新しい発見が得られるかもと感じていた。
結果は
細くしゃがれた声で、耳元で、「ボッキー↑↑してるねー、んはー♡」と、囁くだけ。
正直「勃起」のイントネーションには天才の片鱗を見せつけられ、驚いた。
が、棒読みすぎ。
語彙力なさすぎ。
せめてこれくらいやるべきだ。
「まるで冬の朝のように、気づかないうちに汚チンポの雪が降り積もっているね。このままトンネルをくぐったら、膣の底が白くなってしまうわ。絶望して死を選ぶように慎重に、粉雪が氷の城を築き上げるくらいの時間を掛けて、真っ白いホーロー食器のように清潔にしてあげるわね、ペロペロペロ。」
よって「淫語の天才」と謳ったこの作品も誇大広告と見なし、観賞を中断した。
つまり総括すると、
エロに天才はいない。と言える。
2.破
これだけ安易に「天才」という言葉を乱用している現代社会、天才の価値が下がってしまっていることに僕は不安を覚えた。
そこで天才とは何なのかと、考え直してみた時にある特定の人達が頭に浮かんだ。
まずサヴァン症候群の人達である。
サヴァン症候群とは、知的障害や発達障害などのある者のうち、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する者の症状を指すらしいのだけど
簡単に言うと、絵がヤバイとか、記憶力がヤバイとか、器用すぎてヤバイみたいな。(語彙力無さすぎヤバイ)
この人達は、ジャンルに偏りはあれど、本当に天才といえると思う。
次に、共感覚の持ち主。
特殊な知覚現象を指すらしくて、
例えば、文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたり、人を目視しただけで触覚を感じたりする。
その感覚があるからこそ、音楽や絵や文学やらでズバ抜けた才能を発揮したらしく、調べてみると、いわゆる「天才」といわれる有名人ばかりだった。
何を言いたいのかというと、
実は僕は共感覚の持ち主なのではないかということだ。
端的に言ってしまえば僕は天才なのではないかと。
エロに天才は存在しないと言ったが、エロと天才は関連づけることができるのではないかと。
というのも
先日、ペヤング激辛ソース焼そばを食べた。その翌日に、下痢をした。
その結果、僕は「肛門が辛い」という一種の共感覚を経験したのである。
(うんこに混じったカプサイシンが刺激しているだけだよ!っていうツッコミは無しだ。そんなのはわかっている。もうこの暴走列車は走り出してしまったのだ。誰にも止めることは出来ない。)
つまり僕はアナルで味がわかる男ということになる。
食べたことのない、味も知らないモノでもアナルにちょっと入れてみれば、アナルでなんとなく味がわかる気がしてきた。
ただ、それだけでは、先ほど挙げたAVとなんら変わりはない。天才というには、まだまだ非凡さに欠ける。
と、思った矢先、ある出来事を思い出した。
3.急
この前行った焼肉屋のトイレが、男女別の個室に分かれていたのだけど
扉を開けて、正面に便器がある。
便座に座り前を向くと、なんと扉が鏡張りになっていた。
これはなんとも羞恥心。
これはつまり
僕がいつか開催する世紀の排便ショーをパブリックビューイングで観覧したときの、お客さんの目に映る光景ということになるわけだ。
ヒュー・ジャックマンも恐れをなして逃げ出すくらいのグレイテスト・ショー・マンの姿が鏡に映っているわけだ。
そういうことならと、足を組んでみたり、アヘ顔ダブルピースをしてみたり、様々なポーズを試行錯誤してみる。
そんなことをしているうちに、ゴロゴロと腸がショーの始まりの合図を告げた。
軽快なテンポを刻むコロコロうんこ。
シンバルのような破裂オナラ音。
頭の後ろから鳴り響いたような、モスキート音とも形容できそうなピィィーという高音。
うん、これは間違いなくアナルが演奏している!!
っていう出来事を思い出した。
これで僕は、アナルで味も分かるし、音も楽しむことができるスーパー共感覚の持ち主といえるはずだ。(強引にそういうことにしないとオチがつかない。)
よし、言うぞ。僕はアナルの天才だ!!